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うつわ 

思想的自己嫌悪

サルトルの無神論的実存主義の思想で考えれば、
この世に神様なんていなくて、天国もなくて、
これをしたら神が救ってくれるとかこれをしたら地獄とかそういうのもない。
しいて言うなら人間は「自由」を与えれられてるわけで、
誰がそれをあげたとかそういう理由はなくて、
全ての行動は「自由」から自分が選択していることになる。
そういうふうにサルトルが言うんだったら、
もしなにか言われて傷ついたりとか怒ったりとか、
そういう感情ですら「選択」になるんだろうか。
自分から起こる感情なのだから、自分がコントロールするのは果たして本当にできることなのか。

このなんともいえない悲しい気持ちを楽しい気持ちへ選択するすべは
一体どこにあるっていうんだろう。私はまだその選択肢を見つけられていない。

こんなことをくよくよ考えるのは、うつわが小さいといわれてしまうだろうか。

でもそんなふうにおもうのは、自分をよくおもってもらいたいからなんだろうか。

友達をなくすことも恐れずにコミュニケーションにシャッターを造ったあの先輩のようには私はなれないだろう。
だって私はいつでもどう思われているかにひたすら怯えているのだから。
そしていつだって良く思われることを望んでそうありたく思っているのだから。

全ては選択。そう言うのなら、なんて勝手な世界なのだろう。
人を助けることですら、選択であり、それが自分のためなのか相手のためなのか、
こんなにいちいち選択があるなんて。
神がそう望むと信じるから、人は頑張れるんだと思う。
そう思うと神の存在は大きいのだね。
全てが選択なのなら、うまく出来た世界に生まれたものだと思う。

そんなことできるわけないだろ。
自分が自分をコントロールできるなんて、
そんなつまらないことないだろ。
自分でも何が起こるかわからないから面白いんじゃないか。だから生きたいって思うんじゃないか。
全て選択に任せる必要なんてない。
そんな自己責任ばっかり必要ない。疲れてしまう。
だから人は、神っていう存在をつくったんでしょ。
神様がそう言うっていえば済むことにしたかったんだ。
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